大阪地方裁判所 平成7年(ワ)4752号 判決 1995年10月25日
原告
伊東克憲
右訴訟代理人弁護士
松井千惠子
被告
株式会社芦屋カサ・ミア
右代表者代表取締役
渡邉佳子
右訴訟代理人弁護士
家郷誠之
主文
1 被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成七年六月九日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを五分し、その四を被告の負担とし、その一を原告の負担とする。
4 この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金二五〇万円及びこれに対する平成七年六月九日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、建物部分の賃借人である原告が、賃貸人である被告に対し、兵庫県南部地震により、賃貸建物部分の使用が不能となり賃貸借契約が終了したとして、保証金の返還を求める事件である。
一 争いのない事実
1 原告は、被告から、昭和五八年二月一日、兵庫県芦屋市東芦屋町二五番一四号にある芦屋カサ・ミア二階二〇二号室(以下「本件建物」又は「本件建物部分」という。)を賃借し(以下「本件賃貸借契約」という。)、被告に対し、保証金として二五〇万円(以下「本件保証金」という。)を交付した。
2 本件建物は、平成七年一月一七日、兵庫県南部地震により、使用不能となり、そのころ、本件賃貸借契約は終了し、原告は、被告に対し、同年三月八日、本件建物部分を明け渡した。
3 原告と被告は、本件賃貸借契約の締結に際し、天災、事変その他の非常の際により賃貸室が使用できなくなったときは、この契約は当然に終了し、その場合において、貸主は保証金を借主に返還しないとの特約(以下「本件特約」という。)をした。
二 争点
1 本件特約は、本件保証金の返還請求について適用されるか
2 敷き引きの可否
第三 争点に対する判断
一 本件賃貸借契約の契約書では、保証金について、被告は、原告に対し、本件賃貸借契約が終了して原告が本件建物部分の明渡しを完了し、同契約に基づく負担債務を完済したときは、二割を差し引いて保証金を返還すると記載され、本件建物部分の賃借権の譲渡、転貸が禁止されている(乙一)。
右事実によれば、本件保証金は、賃借人に債務不履行がないことを停止条件として賃貸人が返還債務を負う金銭所有権の移転であるいわゆる敷金と同じ性質のものというべきである。
二 ところで、一般的には、敷金交付の目的は、主として、当該賃貸借契約に基づく賃借人の債務の担保であり、本件の揚合も、右二割の敷き引きは暫くおいて、保証金についてこれと異なる目的があったと認めうる証拠はない。
そうすると、原告の責めに帰すべき事由による債務が発生していない限り、被告は、本件保証金を返還すべき義務があるということができるところ、本件賃貸借契約には、前記本件特約があり、これによれば、平成七年一月一七日に起こった兵庫県南部地震によって、本件建物の使用が不能となったような場合には、被告は本件保証金の返還義務を負わないというものである。
もとより、契約はその目的が公序良俗に反しない限り、制約を受けるものではないが、保証金の主要な目的が右のとおりであり、賃借人の保護のため片面的強行法性を定めた借家法六条の趣旨、本件賃貸借契約の期間が二年毎に更新され、本件保証金の額が賃料(二〇万円)の12.5か月分(約一年分)に相当すること(乙一)を併せ考えると、本件特約は、原告にとって一方的に不利益なものであるから、本件特約について法的拘束力が認められるためには、それなりの合理性が要求され、合理性の認められない場合又は認められない部分は、その法的拘束力が否定され、無効であると解する。
三 本件保証金の性格や目的は前述のとおりであるから、貸主である被告は、敷き引きの二割は別として、当然に、残りの八割は、通常、その返還を予定しているべきものであって、この八割の部分は税務上も、原則として、不動産所得の計算上収入とは取り扱われず、被告などの貸主が、賃借人から受領する保証金を他の目的に運用したりあるいは費消しているのが一般的であって、前記地震などによる多数の賃借人からの保証金の返還に応じることが、被告にとって不可能なことであったとしても、それは、あくまでも賃借人の与かり知らぬ賃貸人側の事情に過ぎず、本件特約の合理性を満たす事情といえないことはいうまでもない。
確かに、予期できない前記地震のような天災によって、本件建物の使用ができなくなり、本件建物の多数の賃借人から一時に保証金の返還を求められた場合に、事実上、被告においてすべての保証金の返還に応じることが困難な場合もありうることが考えられないではないが、このような場合を想定しても、返還の猶予を特約することには、その内容、程度によっては、その特約の合理性を認める余地があるものの、それより進んで被告の返還義務を免除まですることには、合理性を見出すことはできない。
いま、仮に本件特約が前記地震のような天災によって、本件建物に関し被告に生じた損害の填補を図る目的であったとしても、原告など賃借人と被告との間の賃貸借関係は消滅するにもかかわらず、被告の受ける利益と原告など賃借人の受ける不利益の差はあまりにも大きく、右目的には、合理性があるとはいえないばかりか、被告のように賃貸を業とする者は、賃料収入などの内から不時の災難に対してある程度種々の対処をしているはずであるところ、本件特約が右目的のようなものであったとすれば、本件保証金の八割は、結果的に賃料と実質的には同じものとなり、いきおい、実質的な賃料は高額なものであったことになり、原告が右目的や結果を認識して本件特約をしたとはいい難い。
その他、被告は、本件特約を結んだ理由について、被告が本件建物のみを所有していること、前記地震による保険金が少額であって、それによる損害填補が不可能であると主張するが、これらの事情は、いずれも右合理性を裏付けるものとはいえず、原告が本件特約(ただし、敷き引き部分を除く)に拘束されるべき合理性を基礎づける事実を認めうる証拠はない。
四 本件の場合、前記敷き引きの目的がどのようなものであるかについては、明確にこれを認めうる証拠はないが、少なくとも、本件建物の通常の損傷の修繕費として予定しているものである(弁論の全趣旨)。そして、被告の主張によれば、本件建物は修繕が不能であるというのであるから、右主張に従う限りは、前記地震によって本件建物の今後の修繕の必要性はないこととなる。
しかし、本件保証金のうち、右敷き引き予定の二割部分は、既に本件建物のこれまでの修繕費として使用された可能性も否定できず、さらには、右二割の金額が五〇万円であって、賃料の2.5か月分に相当することによれば、そもそも、原告と被告は、右敷き引きについては、被告が修繕を行ったか否か、行ったとして修繕の日時、内容、金額を原告に対し具体的に説明する必要がなく、単純に、被告が本件保証金から右二割部分を控除して残余を原告に返還することを合意していたものであって、右敷き引きの実質は、いわゆる礼金といわれているものと同様のものであったとも解せられる。
そうすると、原告は、被告に対し、本件保証金のうち、右敷き引き部分の返還を求めることはできない。
五 被告は、不動産の賃貸借等を業とする会社である(被告は明らかに争わない)から、被告の原告に対する保証金のうち八割に当たるものの返還債務の遅延損害金には商事法定利率が適用される。
六 よって、被告は、原告に対し、本件保証金の八割に相当する二〇〇万円とこれに対する原告が本件建物部分を明け渡した日の後である平成七年六月九日から支払ずみまで年六分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
(裁判官岩谷憲一)